月別アーカイブ: 2014年1月

略歴−2 セラピストになってから

2007年、タイ古式マッサージの老舗サロン「ヌワボーランChai」に入店。

六本木にてセラピストのキャリアをスタートしました。

Chaiでは、サロン業務を一から教えてもらいました。

深夜勤務も経験し、個性豊かなメンバーとともに第二の六本木青春時代を過ごしました。

老若男女、いろんなタイプのお客様を施術させていただき、充実した日々でした。

2009年に胸部のしこりを摘出する手術(生検)を受けました。

「がんだったら?」という不安や、身体が傷ついた状態の心細さ…など、弱い状態にある時の感情を経験しました。

傷がふさがるまで施術を休んでいた期間に、自分の身体のことや負担をかけない動き方についてあらためて見つめなおそうと、「古武術」や「フォーカシング」など、ピンと来た言葉を手がかりに、手あたり次第に本を読み始めました。

同年、ロルフィングの10回セッションを受ける機会を得、自分の身体、そして意識が短期間に音を立てて変わっていくような感覚を経験。

がぜん興味をそそられ、またまた単純に「ロルファーになろうか!」と思いましたが、経済的時間的に見通しが全く立たず、断念。

それでも「こういう分野を学びたい!知りたい!」という気持ちは強く、その周辺の本を読んだり、調べたり、ワークショップに参加したりして自分なりに模索していきました。

2010年暮れ、ロルフィングのセッションで経験して気になっていたクレニオセイクラルセラピー(CST・頭蓋仙骨療法)の初級セミナーを受講。同年5月、中級を受講。脳脊髄液の循環システム、自律神経とリラックス、自然治癒力との関係性などがつながってきました。

またクライアントの身体に負担をかけないソフトな施術への志向が芽生え、「手の力」を追究してみたくなり、レイキ1st、2ndの伝授を受けました。

やがて、東日本大震災が起こり、自身も3.11後の混乱の時間の中で、「リラックスすること、リラックスできること」の必要性を痛感。

サロンの中だけでなく、社会のいろいろな場所で、…

いわゆる「臨床」の場において、弱い状態にある方(介護、あるいは治療を必要とする方、その周囲の方など)の力になりたいと考えるようになり、臨床タイ医学研究会が主催する「臨床タイ式セラピスト養成講座」を発見、2012年全課程を修了。臨床タイ式セラピストの認定を得ました。

2012年5月、石巻へのタイマッサージボランティアに参加。

(被災地の方々を仮設住宅集会所にて施術させていただきました)

同年7月から、デイサービスにて高齢者への施術を開始。

同年7月~2013年6月、スタジオ・ピボットにて「からだで感じる解剖学」と「ユルメディ・オイルトリートメント」を学びました。

身体の「機能」を理解した上で、実技やセルフケアを通して自分に起こる変化や感覚を見つめ続けた一年間。その結果、様々な気づきを得、身体がより自分のものになってきた!という風に感じています。以前よりも心身ともに安定感があり、とても居心地よく過ごせています。

自分の身体に徹底的に向き合ったことで他者の身体への理解も深まり、それまで断片的に集めてきた知識や経験がどんどんつながって統合されていきました。

ここで学んだことは、現在の私の大きな柱となっています。

2013年4月、あるクライアント様の自然治癒力の発動を目の当たりにして、「これだ!」と思いました。

足りなかった要素を丁寧に補っていくと、身体が力強く自ら息づき始める様は、感動的でした。

「きっかけと必要なだけの手助けがあれば、自分で治っていく状態に戻っていける状態の人は、きっとたくさんいる」

「そこまでの橋を架けよう」…

この経験が、「自分で元気を出せるまでのお手伝いをしよう」というコンセプトのきっかけになりました。

また、「温める」ということの大切さを実感し、ハーブボールやユーファイ(タイの産後ケア)についても学び、施術に取り入れています。

そして2014年1月、臨床の場で、一人一人のクライアントとよりじっくり丁寧に向き合えるように、「温かい手」としての活動に軸足を移していくことにしました。

これから、私と過ごす時間を必要としている方々に、たくさん出会っていけますように☆

よろしくお願いいたします(^-^)

施術者・村田都(むらたみやこ)略歴 −1 《セラピストになるまで》

施術者・村田都(むらたみやこ)です。

30代も後半になってから、他業種からセラピストに転向しました。

「温かい手」を始めたのは、セラピストになる前までにしてきた経験の影響も大いにあるので、

皆さまを触らせていただく施術者がどんなバックグラウンドを持っているのか、ご参考になればと

あえて「セラピストになるまで」のことを簡単に書いてみました(それでも少し長くなっちゃいましたが…)。

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1968年、静岡県牧之原市に生まれる。

高校時代は、剣道部に所属。

「進路?将来の夢?うーん、『探検できる仕事』がしたいかな…→フィールド・ワークってやつ、面白そう!じゃ、文化人類学だ!」

みたいな、何とも短絡的な発想で、かの山口昌男氏がいるという東京外国語大学に進む。

アフリカを探検するつもりで、フランス語を専攻語に。

(しかし、山口昌男氏は学部ではなく、付属のアジア・アフリカ研究所の所属だった!授業が受けられるわけではないと知り、入学してからがっかり…)

気を取り直して、未来の探検に備えてアウトドア技術を身につけようとワンダー・フォーゲル部に入部。

山に登ったり、バイクに乗ったり、バックパッカー旅行をしたりしているうちに、「写真やろうかな」と思い始め、4年生になって夜間の写真学校に通い始めました。

「写真を仕事にできれば、いろんなところに行けそうだ」と、これまた単純な発想から始めた写真でしたが、やっていくうちにその深みにはまり…

六本木アートセンターでのスタジオマンを経て、フランスのÉcole Nationale Supérieure de la Photographieに一年間留学。南仏の、アルルという古い街で一年間を過ごしました(1994-95年)。

帰国後、北青山にあった「ホカリファインアートギャラリー」にてアシスタント。展示やセミナー・ワークショップ関連の業務に携わりました。

四谷三丁目にあった写真専門書店&ギャラリー「モール」が設立した「モール写真図書館」にて、ファイルメーカーを使った蔵書のデータベース化に携わりました(1998年-2000年)。

1999年、がんで、父が他界。
実家を手伝うため一旦静岡に戻りましたが、妹がDTPの仕事を紹介してくれ、一年後に帰京。

それが一段落した後、偶然派遣で見つけた、ファイルメーカーによるDB開発の仕事。

任されてかなり独学してがんばった仕事で、大変だったけれどDB開発に面白さを見出しました。38歳にして、その道のプロになる決心をして専門の会社に入ってみたものの、結局業界に適応できず、挫折。

転職せざるをえない状況になって、失意の中で「さて、これから何をして行こう…」と考えたとき、

何となく、自然に浮かんできたのが、「ボディワーク」。

「そうだ、身体をケアする仕事をしよう!」…と、背水の陣でネット検索二時間後…

「施術する側もされる側も元気になる」ダブルヨガであり、「世界でいちばん気持ちいい」といわれるタイ古式マッサージを発見!

今まで受けたこともなかったのに、「コレ!」と決めて、飛び込みました。

そして、やっとここから「セラピストとしての」略歴に移れます!!w